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陰陽五行説と仏教的発想に基づくコミュニケーションの5つのパターン

日本文化に多大な影響を与えた陰陽五行説と仏教的発想を用いて、人と人を結ぶコミュニケーションは5つに分類できると私は考えています。箇条書きに示してみます。

★最初に「コミュニケーションの名称、丸かっこ内は仏教的発想を用いた名称」そして、英語でキーワード、さらに、一言説明を加えます。

木のコミュニケーション(文殊菩薩型コミュニケーション) キーワードはLogic <賢さ>
木は、原因(根)から展開(幹)して、さまざまな事象(葉)が現れるように、論理性を暗示する。論敵を軽々と説得する文殊菩薩のような、論理的な「知」(=mind)のコミュニケーションで、相手の理性に訴える。

火のコミュニケーション(不動明王型コミュニケーション) キーワードはAnger <厳しさ>
火は、怒りを象徴する。理論で分からない人に対し、強い感情で理解させるコミュニケーション。木のLogosに対し、火はPathosを象徴し、不動明王のごとく力強く、言うことを聞かない相手に厳しく訴えかける。

土のコミュニケーション(地蔵菩薩型コミュニケーション) キーワードはTopic <面白さ>
土は、いろいろな物を含む包容力があり、そこから内容を暗示する。地蔵菩薩が六道を全て渡り歩くがごとく、幅広さを強調するコミュニケーション。内容は面白くないと相手は退屈するので、普段からの情報収集が重要である。

金のコミュニケーション(釈迦如来型コミュニケーション) キーワードはStrategy <易しさ>
金言や黄金則のような言い方があるように、土の内容重視に対し、話の手段を重視する。釈尊の対機説法のごとく、相手に応じて、ぴったりの言葉をたくみに操り、話のわかりやすさを最重要課題にする。

水のコミュニケーション(観音菩薩型コミュニケーション) キーワードはKindness <優しさ>
水は何をも受け入れ、どこにでも流れるので、柔軟性を暗示する。火の怒りに対し、水は観音菩薩のごとく優しい。議論では相手を思いやる話し方となり、木の「知」に対し水は「情」(heart)である。

※キーワードを集めて、土火木水金の順番に並べ替えるとTALKSとなる!

英語を身につけるために毎日すべき「五訓」

健康のための五訓で次のようなものがあります。

1日1回大笑いする
1日10人と話をする
1日100字書く
1日1000字読む
1日10000歩あるく

私は、英語力向上のために、次のようなものを提案しています。

1日1つ文法項目を学ぶ
1日10語の単語を学ぶ
1日100語の文章を書く
1日1000語の文章を読む
1日10000語のリスニングをする

文法、単語、書くこと、読むこと、聞くこと・・・全て大事ですね。ところで、この五訓に「話すこと」が入っていませんが、これは日本人が日本で英語を学ぶための五訓だからです。1日10人の外国人と話ができればうれしいのですが、外国人観光客など増えているものの、それはまだまだ不可能でしょう。しかし、上記の五訓を守っていると、自然に会話力はもちろん、討論力・交渉力の素地は身に付きますよ。私はそう信じています!

Buddhist-flavored jokes (No.1)

今日は、私が常日頃、関心のある仏教的発想を日本語や英語で紹介するだけでは、真実が伝わらない面があるのを、英語と言う言語を用いたジョークを用いると、意外と伝わるかもしれないということを主張しているものの、いったいどんなジョークが、仏教の説く真理を伝えるのか、これまでブログで述べたことがありません。

私がこれまで、機会があれば述べてきた「英語を用いた仏教的ジョーク」を少しだけ紹介します。

まずは非常に単純なものから・・・。

通訳ガイドで用いることができるものを1つ。

I am not a Buddha; therefore, I cannot answer your difficult question quickly but I will try.

Buddhaでないことを言い訳にしているのでややずるいですが、これはブッダは何でも知っている(=悟っているから当たり前)ことを暗示しています。だから仏教的ジョークと言えるでしょう。

通訳ガイド研修講師としてのアドバイスにもジョークが1つ。

If you are asked about the significance of an object you don’t know, you can say it is just an ornament, and if you are asked about the significance of an event you don’t know, you can say it is just a custom.

つまり、「もの」について質問されたら、装飾であることが多く、「こと」について質問されたら、習慣であることが多いので、全くのはずれでもない。いい加減がよい加減であるという仏教的発想につながります。

禅は言葉のジョークの宝庫です。不立文字(文字を立てず、これにこだわらない。なぜなら言語ですべてを表せない=これは言語学的に厳然たる事実)を表明する割には、禅の言葉が多いという時点で、ジョーク的ですが、禅の発想を英語にするだけでジョークになります。

Zen aims at making unanswerable questions unquestionable answers.
(禅は答えられない質問を疑えない回答にすることを目指す)

禅問答の問い自体が通常、unanswerable questionsです。

It takes eternity to know everything.
(全てを知るのに永遠の時間がかかる)

これも真実ですね。

仏教の教えは、次の生死に関する根本的な発想を含みます。英語にすると逆に分かりやすいかもしれません。

We are living and dying at the same time.
(われわれは生きることと死ぬことを同時にしている)

生きるということは死につつあるということ。これも真理ですね。

時間のあるときに、私の作った仏教的ジョークを紹介していくことにします。

最後にアインシュタインが語ったとされる真理を1つ。

The more we know, the more we realize we don’t know.
(知れば知るほど、知らないことが分かる)

私が常に主張しているまじめなジョークで締めくくります。

We may physically get older, but we can spiritually grow younger.
(肉体的に年を取るかもしれないが、精神的に若返ることができる)

amとmaの話

Aは最も単純な母音です。なぜなら口を開けて自然に出せる最も基本的な音だからです。一方、Mは最も単純な子音です。というのは、口を閉じたまま、そのまま音を出すと出る最も基本的な音だからです。

この2つの音の組み合わせは、西洋と日本を象徴する概念を生み出すように思います。例えば am は I am…から分かるように「現在における私の存在」を暗示します。これは西洋文化の重要なコンセプトを如実に表しています。西洋世界では、「私」が重要で、「私を主張すること」、すなわち「個」が重視されるからです。個人主義(individualism)が重視されていることからも分かりますね。

一方、ma は日本文化における重要なコンセプト、すなわち「間」です。こちらは、「個」を重視するのではなく、個と個の関係、すなわち「人間関係」を重視します。いわば「個」と「個」の「あいだ」を重視するわけです。個を目立たせないという面から、日本文化における重要なコンセプトは「集団主義」(groupism)であるとも言われます。

以上のように、人生においては、個を重視する立場(=am発想)と関係を重視する立場(=ma発想)の2つが大切なのではないかと、私は感じています。この対立するような立場が、基本音のaとmから成っている事自体が奥深いと思いませんか。

さらに、否定を表す音は、n です。これは、ほぼ全ての言語の否定に n が関わることから分かります。英語の”not”、日本語の「ない」(nai)、ドイツ語の”Nein”、ロシア語の”Nyet”など、n音が入っています。

つまり n をつけると否定になると考えてよいとし、次のような組み合わせを考察してみましょう。

(1) N+AM
(2) MA+N

西洋文化の基本コンセプトを否定してできる NAMは「南無」に通じ、仏教を暗示します。「個」が「我」(=自分中心の発想)になるのを戒めるのが仏教の教えです。amの主張しすぎをNで否定するわけです。

一方、日本文化の基本コンセプトを否定してできる MANは「人間」の意味で、英語世界の人類に通じます。あまりに人間関係にとらわれてがんじがらめになっている人間を解放するのにNの否定が役立つのです。

am(自己主張)の行き過ぎをNAMで調整し、ma(没我)の行き過ぎをMANで調整しているわけです。amとmaを以上のように捉えてみると、面白いのではないか、そして、世界はamとmaを理想とし、その行き過ぎを調整するために、NAMの仏教とMANの西洋思想が存在しているように見えてなりません。

みなさんはどう感じられますか?

「10」に関する10の話

最近、言葉と数字の偶然の関係に注目しています。今日は「10」の話をしましょう。

1.「10」は単に10個のものを指すだけでなく、「多数」や「最高」を表すことがあります。伊勢神宮の屋根の上に10個の鰹木がありますが、これは日本神話上最高の女神であるアマテラスを象徴しています。偶数は基本的には女神を象徴します。「10」はその偶数で、指で数えることができる最高数だから、最高のもの(神)をあらわすのです。

2.「10」は大和言葉で「とう」と発音されますが、ローマ字で書けばtoとなり、この「t」が漢字の数字「十」と形が偶然似ているのが気になります。しかも、英語で10はtenですから、これも「t」で始まっています。

3.「10」は多いことを表すと言いましたが、「多い」という字が、「タ」が2つで出来ています。「タ」は「ト」と同じ系列の発音です。「10」の半分の「5」は大和言葉で「いつ」となりますが、これはタ行の真ん中「ツ」が入っています。10に関係する五十音の行は「た行」であると思います。

4.言霊的に「タ」の主(す)、すなわち「タ」の中心は「タ+ス」で、「足す」という単語が生まれます。足すための数学的記号は、まさに、偶然ながら、漢数字の「十」とそっくりです。「十」(とう)と「+」(足す)の区別がほとんどありません。

5.「十」は「重」と、日本語では発音が同じです。「十」は重要であると言えそうです。日本文化は重なり志向であると、私は言語文化論のエッセイで主張していますが、言語を生み出す上での、数字の重なりの最高レベルが10ではないかと思っています。だからこそ「十人十色」という言葉があったり、「十戒」「十哲」「十方(=東西南北と北東・北西・南東・南西・上下」)」などの言葉があるのでしょう。方角まで「10」に揃えられてしまっています。

6.「10」は「とう」と読めます。また、「10」の漢字は足し算の記号とそっくりだと言いましたが、この「と」という言葉は、助詞では足し算を表すのが、また不思議です。「AとB」は「A+B」を意味しますね。

7.10!(10の階乗=1×2×・・・×10)は362800ですが、これは36から始まります。私は、36という数字が大好きで、これが10と関係があるのに驚きました。ちなみに1+2+・・・+8=36です。また、星型の尖った部分の角度は36度です。

8.原子番号10の元素は、ネオン(Ne)です。このネオンという言葉は、ギリシャ語の「新しい」を意味する言葉から来ています。

9.100メール走の日本記録は10秒00ですが、この速さは時速に治すと、時速36キロということになります。また、36という数字が現れました。

10.私は10分が基本であるという考えを持っています。言いたいことはどんな複雑なことであっても「10分」で言い表せるという発想です。だから、上記の9つの情報に関する簡単な説明は、「十分」(じゅっぷん)あれば「十分」(じゅうぶん)出来ると思います。

temple(寺)とtemple(こめかみ)の不思議な関係

今日はtempleという単語についてのお話です。この単語「寺」の意味だけでなく「こめかみ(蟀谷)」の意味があります。

この2つの意味—「寺」の意味と「蟀谷」(こめかみ)の意味—は、一般的には、異語源とされています。というのは、temple(寺)は「神殿」を意味したtemplumというラテン語に由来し、temple(蟀谷)は「時」を意味したtempusというラテン語に由来するとされるからです。たまたま現代英語では、綴りが一致したのです。

しかし、templumも、tempusもともに、元をたどれば、古代ギリシャ語のtemnein(切る)に到達するようです。「永遠の空間から切り取られた聖なる空間」がtemplumであり、「永遠の時の流れから切り取られた時間」がtempusと言われるようになったとされているのです。

このtempusに由来する英単語は、temporary(一時的な)やtempo(拍子)であり、そしてtemple(蟀谷)です。蟀谷は、脈をうち、時間を刻んでいる、いわば「頭の時計」であると考えられたのです。

temneinと関わりのある英単語の代表として、atom(原子)とanatomy(解剖学)があります。atom(原子)は、<a(否定)+temnein(切る)>で、「これ以上切れないもの」という意味から来ています。一方、anatomy(解剖学)は、<ana(=up)+temnein(切る)>で、英語にするとcut upとなり「切り尽くす」の意味となります。元来「切り尽くす」という意味から来ているのです。

いずれにしても、temple(寺)は「切り取られた空間」、temple(蟀谷)は「切り取られた時間」ということで、ともにルーツが同じだったようです。

私は、templeと関係があるcontemplation(沈思黙考)という単語が好きです。<con(一緒)+temple(神殿)+tion(こと)>に分析できますが、古代「聖なる空間に集まって沈思黙考した」ことを象徴する単語です。temple(寺)でcontemplateして、しばし時間を費やせば、temple(蟀谷)が脈打ち、一定の悟りの状態になるのではないかと考えてしまいます。

日本社会では人間関係を重視するのに、日本語は単語関係を重視しない!?

日本社会では、人と人との和を大切にするので、日本人は人との対立を避け、できる限り、自己主張をしないで、本音と建前を使い分け、当たり障りなく生きていくことが望まれます。つまり、人間の個性よりも人間関係を重視すると言えるでしょう。

ところが、日本社会を成立させている基盤となっている言語、日本語の世界を覗いてみると、単語と単語(またはその集まり)の関係を重視しているとは思われないような言語現象が見受けられるのが、興味深いと思います。

例えば、次の文を考察しましょう。
(1) 昨日私が買った本
(2) 昨日本を買った人
(3) 昨日私が本を買った店
(4) 私が本を買った夜
(5) 昨日私が本を買ったお金
(6) 昨日私が本を買った方法
(7) 昨日私が本を買った理由
(8) 昨日私が本を買った事実
(9) 昨日私が買ったと彼が思う本
(10) 昨日私が買った本のうちで、あなたが興味を持っている本

日本語は、英語と異なり、被修飾語(名詞など)は、名詞句・節の一番最後に来ます。上記では、前に来る「文」(=修飾表現)と「語」(=被修飾語)の間に、その文と語の関係を明確に示す関係詞などは存在しません。

英語では、word → sentence という順番になります。そのまま並べたのでは大半が非文法的です。つまり、英語では、表現を成立させている要素間の関係が、関係詞などにより、明確にされるのです。このことは、日本語と同様の発想で英語に置き換えた表現(以下では先に挙げています)と正しい英語表現を比べてみると明らかです。

(1) the book I bought yesterday → the book that I bought yesterday (最初の文も、関係代名詞が目的格だから、OK)
(2) the person bought the book yesterday → the person who bought the book yesterday
(3) the store I bought the book yesterday → the store where I bought the book yesterday
(4) the night I bought the book → the night when I bought the book
(5) the money I bought the book yesterday → the money with which I bought the book yesterday
(6) the way I bought the book yesterday → the way how I bought the book yesterday (最初が正しく、あとが間違い)
(7) the reason I bought the book yesterday → the reason why I bought the book yesterday (最初も正しい)
(8) the fact I bought the book yesterday → the fact that I bought the book yesterday
(9) the book he thinks that I bought → the book that he thinks I bought
(10) the book you have an interest of the books I bought yesterday
→ the books that I bought yesterday which you have an interest in

日本語は単純で、文と語の間に、その関係性を表す関係詞や接続詞などは一切不要なのに対し、英語は基本的には関係詞や接続詞などが、関係を明示するために必要です。省略される場合が少しある(上記の(1)(6)(7)など)ものの、基本は関係を重視しています。

特に(10)は二重限定を使ったほうがすっきりします。日本語の直訳ではinterestのあとのinも省略されますが、英語は構造を明確にするため、inは省くことはできません。

社会で個性を重んじて、1人1人が独立することを勧める英語世界が、逆に、単語が独立するよりも、関係性を重視している点、これに対し、日本社会では、個よりも集団を重視し、人は持ちつ持たれつであることを強調するのですが、日本語では、単語と文はそれぞれに個性を発揮し、独立している点が面白いと思いませんか?

前置詞に共通する意味の強弱を考える

今日はatに注目したい。

atは、I am a professor at Kinki University. に見られるように、「所属」の意味があります。通常では、学長でない限り、ofの使用は許されません。

(1) ○ He is President of Kinki University. [× He is President at Kinki University.]

学長は大学の完全な1部としての役割、つまり、大学と不可分なのでofを用いるのです。同様の用例は、President of the United Statesなどに見られます。

ofの所属性の強さは、(2)を見ればわかりますね。

(2) the bottom of the bottle (ボトルの底)
(3) the label on the bottle (ボトルのラベル)
(4) the water in the bottle (ボトルの水)

(2-4)から、日本語では全て「の」で表記できるのに、英語では前置詞が異なるのは、その所属性のあるなしに関係しています。所属性が最も大きいと思われるのは、ボトルと底の関係です。というのは、底はボトルの一部だからです。(3)は元来所属性がありません。たまたま貼ったということを表すのにonが用いられているだけです。また、ボトルの水も取り出せますから、所属性はないと言えます。つまり、所属性はofで表しているのです。

一方、次の表現を考察します。

(5) the cap to the bottle
(6) the key to the room
(7) the secretary to the president

(5-7)については、A to B において A と B は所属度は最高ではないにしても、意味的に所属していると考えてよいでしょう。たまたま、所属しているというニュアンスがある a professor at the university の表現におけるatよりも、to のほうが所属性が高いと思われます。従って、所属性は、次のように高くなると考えてよいでしょう。

(8) at < to < of

さて、at には「狙い」を表す表現があります。次の違いに着目しましょう。

(9) He threw the ball at me.(彼は私を狙ってボールを投げた)
(10) He threw the ball to me.(彼は私に渡すためにボールを投げた)

(9)(10)から、atの方が、標的性(悪意を持った狙いのレベル)が高いと思われます。ここで、次の文の違いにも着目します。

(11) She did something to me.(彼女は私に何か[いやなこと]をした)
(12) She did something for me.(彼女は私に何か[いいことを]をしてくれた)

(11)(12)から、toの方が標的性が高いということがわかります。だから、「標的性」の強さは、次のように大きくなると考えてよいでしょう。

(13) for < to < at

複数の前置詞に渡る同じ意味について、その強弱を考えることは、前置詞の本質の解明につながると思います。

日本語の漢語はそのまま英語に置き換えても通じる

今日は、英語と日本語の不思議な共通点を考えてみます。

一般に A for B は BA と表現できます。
(1) a car for sleeping → a sleeping car (寝台車)
(2) a cup for tea → a teacup(ティーカップ)
BAの表現は、1語の場合も、2語の場合もありますが・・・。

さらに一般化して、 A [p] B [p] C → CBA (但しp= preposition [前置詞])という法則が成り立ちそうです。
(3) the campaign for the cleaning of the campus → Campus Cleaning Campaign

(3)の日本語は、次のようになります。
(4) 大学の清掃の運動

(3)と(4)を比べると、英語では前置詞ofの連続を嫌うのに対し、日本語は「の」の連続が平気であるという点が読み取れます。

ところで、日本語は、その後順のまま「の」を省略することができます。その場合は、漢語表現となります。
(5) 大学清掃運動

ここで、(3)と(5)を見ると、日本語の漢語表現は、そのまま英語に置き換えると良いことがわかります。
(6) 大学清掃運動 → Campus Cleaning Campaign

英語の前置詞なしの表現と日本語の漢語表現は、語順同じという共通点があるのです。前置詞のある表現は、いわば、<英語の大和言葉>で、前置詞なしの表現は、<英語の漢語>です。

日本語に関係詞が存在しない理由—意味的関連性が構造的論理性に優先する

日本語という言語は、実に柔軟な言語であると思います。

今日は、日本語の「文+語」の構造について考えてみましょう。

(1) 私が買った本
(2) 私が本を買った店
(3) 私が本を買った日
(4) 私が本を買った理由
(5) 私が本を買った方法
(6) 私が本を買ったお金
(7) 私が本を買った話
(8) 私が本を買った事実

(1)~(8)は、全て「文+語」の形式になっていますね。「文」と「語」の間に何もありません。英語では、<語→文>の順になりますが、日本語と同様、語と文のあいだに何も介在させない表現を作ってみましょう。

(1)’ the book I bought
(2)’ the store I bought the book
(3)’ the day I bought the book
(4)’ the reason I bought the book
(5)’ the way I bought the book
(6)’ the money I bought the book
(7)’ the story I bought the book
(8)’ the fact I bought the book

(1)’~(8)’は(1)~(8)に対応していますが、英語で言えるのは、伝統的な文法では、(1)'[関係代名詞目的格であるthatまたはwhichが省略された形]と(5)’のみがOKで、口語では(3)’と(4)’が許容されますが、その他は全て関係詞や接続詞が介在しないといけません。関係詞(1つの例のみ)を介在させた英語表現を挙げておきます。

(1)” the book that I bought
(2)” the store where I bought the book
(3)” the day when I bought the book
(4)” the reason why I bought the book
(5)” the way in which I bought the book
(6)” the money with which I bought the book
(7)” the story in which I bought the book
(8)” the fact that I bought the book

英語では、「語」と「文」がどういう関係であるかが、関係詞[(1)”〜(7)”の場合]や接続詞[(8)”の場合]によって表す必要がある言語であるといえます。一方、日本語では、その構造的論理性は重視されず、「語」と「文」が意味的につながっておれば、構造的な記述は必要ありません。日本語は、意味的関連性があれば、構造的論理性は無視してよいという、極めて柔軟な言語であるといえますね。

意味的関連性が弱い場合は、日本語表現も文法的と感じにくくなります。

(9)a. ○ 私がきのこを見つけた山
b.?? 私が本を買った山

(9a)が自然で(9b)が不自然なのは、基本的に語と文の意味的関連性のあるなしです。(9b)でも、文脈があれば文としてOKとなります。例えば「以前、登山した山にあった小さな店で面白い本を買ったと言ってたけど、この山が、私が本を買った山だよ。」となると一気に自然になりますね。

(10)× 私が本を買った猫

語が場所でない「猫」の場合は、もっと変ですね。でも「可愛らしい猫を見てて、猫の気持ちがわかる本というのがあるのを思い出したと以前私が言ってたのを覚えてる?実はね、この猫が、私が本を買った猫だよ。」とすれば、不自然さは弱くなってきます。

他にも、英語では表現しにくい「本を買った私」など代名詞を修飾することも可能な日本語は、とにかく不思議な柔軟性を持った言語と言えると思いませんか?