言語は経済に似ている—–その3

これまで述べてきたように、言語の不思議な現象には、「経済性」(単純性を好む傾向)という原理が関わっているのです。

見た目の複雑さのみならず、いくつかの文法現象も、経済性の側面から説明できます。

(1) a. John gave Mary a doll.

  1. Mary was given a doll by John.

c.?A doll was given Mary by John.

  1. A doll was given to Mary by John.

(1c)文と(1d)文を見比べると、(1d)文のほうにはtoが存在し、見た目はやや複雑です。「複雑性の度合いが高いほうが、より文法的である」ということは、一見、文法上の大原則(=文法の文法)である「経済性」に違反しているかのように見えます。しかし、事実は全く逆なのです。

(2)  John gave a doll to Mary.

(1c)文の派生は(1a)文から起こっているのに対し、(1d)文の派生は(2)文から起こっています。なお、(1a)文は、(2)文からの派生であると考えられています。派生の複雑性の視点からは、(1c)文のほうが複雑です。従って、「経済性」の原理から、(1c)文はあまりよくないと判断されるのです。

(3) a. (1c)文の派生: 第3文型→第4文型→受動態

b. (1d)文の派生: 第3文型→受動態

(1d)文のほうが単純な派生をしているので、(1d)文は経済性の原理から十分に容認されるというわけです。

いわゆる省略現象は、「経済性」が言語に影響を与えていることを示す「目に見える証拠」といえるでしょう。

(4) a. 「この前お話に出ました本をお買いになりましたか?」

  1. 「あの本をお買いになりましたか?」

c. 「あの本を買いましたか?」

d. 「あの本を買ったか?」

  1. 「あの本買ったか?」
  2. 「あの本買った?」
  3. 「本買った?」
  4. 「買った?」

(4a)文のように具体的に「本」を形容する部分は、当事者間で分かっていたら省略できます。また、(4b)のような尊敬を表す表現(=敬語)は、(4c)のような丁寧表現に縮小することができます。更に、丁寧表現の代わりに、(4d)のような無色透明文に縮めることもできます。「を」を省略して(4e)のような文も可能で、「か」を省略して(4f)のような文も可能です。

「あの」すら、親しい仲間の間で、どの本の話題であるかが明白な場合、(4g)文のような言い回しも可能です。挙句の果ては、(4h)のように、名詞句(「本」という表現自体)をも省略可能なのです。だから、日本語は、省略現象が豊富で、その分だけ、言語に共通の「経済性」の原理が強く影響していると考えてよいでしょう。

言語は経済に似ている—-その2

以前のブログで、言葉は「複雑性を嫌う」という経済性という原理があるという話をしました。今回は、それをもう一歩進めましょう。

更に以前に「言語は数学に似ているのに、その反例として<視点>という概念が存在している」(3つ前のブログを参照)、また、「言語は化学に似ているのに、その反例として<メタ言語>の存在がある」(2つ前のブログを参照)ということを述べました。

視点やメタ言語の存在自体は、言語全般における「文法の文法」、すなわち、<メタ文法>と言ってよい「経済性の原理」により保証されると考えられると、私は考えています。

John=Mary’s husbandで、Mary=John’s wifeなら、数学の世界では、(1a-e)のように、無限に代入できるのですが、言語の世界では、視点が壊れるので、代入不可能となります。これは、複雑さを嫌う「経済性」が力を発揮しているとしか言いようがありません。

(1) a. John loves Mary.

b. Mary’s husband loves John’s wife.

  1. John’s wife’s husband loves Mary’s husband’s wife.
  2. Mary’s husband’s wife’s husband loves John’s wife’s husband’s wife.
  3. John’s wife’s husband’s wife’s husband loves Mary’s husband’s wife’s husband’s wife.

:

現実問題として、(1b)文は、第3者の視点を取り入れることにより、OKの文となりますが、これは(1a)文とは意味が異なってきます。同じ意味なら、やはり(1a)でよいのだから、複雑性を嫌う「経済性」の原理が生きているのが分かります。

また、2つ以上の視点が英文に現れないこと自体、経済性の原理が、言語の底流に流れていることを示しています。

更に、(2a)のようなメタ言語的表現を、(2b)文のような分析的表現(化学的表現)に置き換えることができますが、言語表現としては(2a)が好まれること自体、「経済性の原理」がここでも幅を利かしていることが分かります。

(2) a. “Teacher” means a person who gives lessons in something.

  1. The word made with the letters which are a T, an E, an A, a C, an H, an E and an R in this order means a person who gives lessons in something.

言語は経済に似ている—その1

私はチョムスキーの生成文法を専門としていますが、1992年以降、チョムスキーが提唱した考え方に「最小主義理論」(minimalism)というのがあります。これは、単純化して述べると、「言葉の仕組みは、数戸の単純な原理で説明でき、その原理の中の原理ともいうべき、根本的原理は「経済性(economy)」です。

これは、最も簡単に言えば、「言葉は単純であろうとする力が働く」ということです。これはある意味、あたりまえかもしれません。例えば、誰もある文を生み出すのに複雑なものは好まないということがありますね。

(1) ?I want to try to plan to decide to promise to do itl.

(?私はそれをする約束をすることを心に決める計画をする試みをしたい)

(2) ??The fact that the book he is sure is sure is sure is sure.

(??彼が確実なものだと確信する本は確かであるという事実は確かである)

(3) *I made him have her let them see us hear you play the piano.

(*私は彼に彼女に彼らに我々にあなたがピアノを弾くのを聞くのを見てもらうことをさせるようにさせた)

(1)~(3)は全て、文法の視点からは文法規則の連続適用を行っているだけなので、文法的なのであるが、現実には、これらは容認されにくいでしょう。特に(3)は日本語にしたらわけが分からないですね。

つまり、英文を作成するには、色々な「規則」があります(疑問文にする規則、関係詞節を作る規則・・・)が、それらの規則を規制する、いわば「規則の規則」というようなものがあります。これを「原理」と呼びます。その原理の代表格が経済性に他なりません。

英語は化学的であるが、100%化学的ではない

英語は化学的だ!

英語は化学の発想で捉えることができます。

例えば次の文を考えてみましょう。

(1) *This is teacher.

言語学では、非文法的な文に*をつけます。(1)の文は*をつけないといけない間違った文です。次の文のようにしないといけません。

(2) a. This is a teacher.

  1. This is the teacher.

(2)文に書き直したとたん、文は安定します。(2a)文は「この方は先生です」、(2b)文は「この方が先生です」の意味です。不定冠詞と定冠詞の差は、「は」と「が」の差になります。

(2b)について、いきなりこの文を発すると変ですが、相手に「先生がいますよ」と伝えておいて、実はこの方がそうであるというような紹介をするとき、極めて自然です。補足して言えば、「この方が(先ほど、お話していた)先生です(よ)」という感じですね。

ここで、やや「こじつけ」(forced analogy)に響きますが、つぎのような類推が成り立ちます。

(3) a. 単語レベル・・・原子 → teacher

  1. 句レベル・・・分子 → a teacher / the teacher
  2. 文レベル・・・化合物 →  This is a teacher. / This is the teacher.

単語レベルは原子のレベルでそれだけでは安定しません。名詞の場合は、冠詞を筆頭に形容詞などがついて(つかない場合もありますが・・・)初めて安定するわけで、名詞句は英語の分子と言えるでしょう。「句」はまさに「文子」(=分子)、すなわち「文の子」ですね。

分子が複数集まってできる化合物は、文に似ています。これもジョーク的に言うなら、文は「加語物」[かごぶつ] (=化合物)です。

言葉遊びはこれぐらいにして、ここで私が言いたいことは、<言語は単語のみでは安定しない>ということです。文のレベルで言うと、文は単語の単なる足し算だけではなく、掛け算を含めた複雑な演算の結果生じるものであると言えます。

とにかく、言語の成り立ちは、足し算を暗示する物理的なものではなく、掛け算を含めた計算機構を持つ、化学的な特徴を持つのです。

英語・化学類似論に対する反論

英語と化学は似ているという主張をしておきながら、それに対する反論も行うという暴挙(?)に出たのと言われそうですね。

「英語は化学的にして、化学的ではない」ということを言いたいのです。一見矛盾に思えるかもしれませんが、実はそうではありません。英語の仕組みの説明に化学的な発想を組み込むことが可能ですが、そうではないと言える側面も同時に存在しているということを言いたいのです。

次の文を観察しましょう。

(4) “Teacher” means a person who gives lessons in something.

(4)において、teacherは無冠詞であってもかまいません。しかし、言葉が完全に化学的であれば、それは許されません。「化学で化学を説明すること」はできません(→「言葉で化学を説明する」から)が、「言葉で言葉を説明すること」はできるわけで、これが化学の世界と言葉の世界の根本的な違いであると言えるでしょう。

すなわち、言語に対する「メタ言語」(言語の言語)が存在するのが、言語の世界の特徴と言えます。(「メタ化学」すなわち「化学の化学」という発想はないのです)

英語とはどういうものであるか・・・このテーマで掘り下げた議論は、次の記事で、さらに進めます!

英語は数学的であるが、100%数学的ではない

私のブログを楽しみにしておられる皆様、またブログを書く時間があまりありませんでした。申し訳ないです。今後は、できるだけ、時間を作って、書く事にしますね。今はどうも時間が最大の敵なのですが、時の流れと共に物事を楽しむだけでなく、時間そのものを楽しめる境地を目指したいものです(Time is the greatest enemy to me, but I would like to change this enemy into the best friend of mine in the near future, by which I mean I can enjoy time itself as well as enjoy something with the passage of time.)。

「JohnとMaryの2人がチェスを5回戦戦い、どちらの成績も3勝2敗で勝利した。どうしてか?」

この問題に答えられますか?まず、次の文を考えてみましょう。

(1) John and Mary played chess.

実はこの文は曖昧です。どう曖昧かわかりますか。

(2) a. ジョンとメアリーがチェスで対戦した。

  1. ジョンとメアリーが2人で、第3者とチェスで対戦した。
  2. ジョンとメアリーが別々にチェスをした。

(2c)の意味の場合、次のように言い換えられます。

(3) John played chess and Mary played chess, too.

(=John played chess, so did Mary.)

この(3)文は、数学的な公式が当てはまることを意味しています。

(4) a. (X+Y)P = XP + YP

  1. X=John, Y=Mary, P=played chess

最初に挙げた質問は、(4)のように英語に数学的な公式が当てはまるので、回答できるわけですね。彼らは別々にチェスをしていたので、どちらも3勝2敗であっても不思議ではないわけです。

(1)文が(3)文に置き換えることができるということは、英語が数学的であることを意味しています。しかし、(2a,b)の意味もあるので、完全に数学的であるとは言い切れませんね。

数学的でないことを証明する、もう1つの興味深い例を挙げておきましょう。

JohnとMaryが夫婦で、JohnがMaryを愛しているとしましょう。すると、次の文が成立します。

(5) a. John is Mary’s husband.

  1. Mary is Jonn’s wife.
  2. John loves Mary.

英語が完全な数学であれば、(5a)と(5b)を(5c)に代入できるはずです。実際に代入してみましょう。

(6) Mary’s husband loves John’s wife. (メアリーの夫は、ジョンの妻を愛している)

これは妙なことになりました。(6)の翻訳が、どうしてもメアリーの夫とジョンの妻が不倫しているような意味になってしまいます。

これは、英語が単なる数学ではないことを示しているわけですが、なぜ、こんなことが起こるのか、わかりますか?

実は、これには「視点」ということが大きな影響を与えているのです。Mary’s husbandはMaryの視点、John’s wifeはJohnの視点で、異なる視点が同じ文にあってはならないので、この文は、Johnの視点でもMaryの視点でもなくなります。つまり、この文は、第3者の視点になるので、Mary’s husbandがJohnと感じず(Maryの視点ならMary’s husbandはJohnだと認識するでしょう)、また、John’s wifeがMaryと感じない(同様にJohnの視点ならJohn’s wifeはMaryと感じるでしょう)のです。

英語は、論理的なので、数学的であるといえますが、必ずしも、100%のレベルで数学的だということはないことが分かりましたでしょうか。

英語の不思議をこれからもお届けます。

英語世界を仏教的に表現する(その2) 第4話

第3話から第4話まで、時間が空きましたが、今日は、動詞と助動詞が、心の世界を表すことを示しましょう。

英語学的には「法」(学術的な視点からは、助動詞が法を担うが、動詞は助動詞と組み合わさるという意味で、法的な側面があると言える)、仏教的には「識」の問題となる(精神的な世界に関わっている)のです。

■動詞は「識」に関係する!

唐突ですが、名詞を叫んだ場合と動詞を叫んだ場合を比べてみましょう。

名詞を叫んだ場合    Apple! (りんご!)

動詞を叫んだ場合  Go!  ([あっち]行け!)

どちらが意思を伝えることができるかといえば、動詞を叫んだ場合です。相手に明らかに意思が伝わります。「なんか嫌われているな?」とか、「何かあぶないのかな?」とか。

一方、Apple!と聞いた場合は、「いったいりんごがどうしたの?」という感じになるでしょう。

動詞を単独で用いると、文法的には命令法といって、相手に何かを命令する用法となります。だからこそ、動詞は本質的に相手の心に働きかける力を持っているといってもよいのではないかと私は考えています。だから、動詞は「識」に相当すると考えているわけです。

「本質的に」といったのは、命令法では動詞の変化形ではなく、原形(=元来の形)を用いるからです。つまり、元来の形を用いることが、直接相手の心に訴えることにつながるわけです。だから、本質的に動詞は「識」と関係が深いのです。

 

■では助動詞が「識」なのは何故か?

助動詞は、まさに、相手との心的交流には、絶対といっていいほど欠かせない品詞です。

相手の心を動かすには、助動詞が不可欠だということです。こころは「品」だったのだから、助動詞が英語の「品」を担っているといっても過言ではないでしょう。

ところで、助動詞には2種類の意味があります。いずれも「心」に関係しています。代表的助動詞について確認してみましょう。

    

代表的助動詞とその2つの意味

 

助動詞 相手に対する気持ちを

伝える意味

あることに対する自分の気持ちを伝える意味
Can

 

May

 

Must

 

Should

 

[軽い命令]

~したらいいよ

[許可]

~してもいい

[命令]

~しなければならない

[意見]

~すべきだ

[客観的な可能性]

~がありうる

[主観的な可能性]

~かもしれない

[高い可能性]

~に違いない

[比較的高い可能性]

~のはすだ

 

英語世界を仏教的に表現する(その2) 第3話

さて、皆さんは、英語の前置詞のうち、どの前置詞が好きですか?私は、前置詞の王様とも言えるofを、私自身の「守り前置詞」にしています。「世界前置詞OF愛好会」会長として、ofをこよなく愛しています。

しかし、最近はonが面白いかな?と思い、隠れキリシタンならぬ、「隠れon研究家」になっています。onの魅力は、徐々に紹介しますね。

onを徹底的に研究して、英語で”On ‘on’”(『onについて』)というタイトルの研究書を書きたいと思っています。

ところで、最近、PHP研究所から『前置詞がわかれば英語はすらすら書ける!』という本を出しました。文法では前置詞、4技能ではライティングに焦点を当てた、新感覚の英語本です。一度、読んでいただければ嬉しく思います。

第3話として、前置詞が「空」であるという話をしましょう。いきなり次の文章を読んだらわかりにくいかもしれないので、第1話と第2話を読んでみてください。それから、前置詞の話を読めば、なるほど!と、宇宙的には小さいけれど、心理的には偉大な悟りに到達するでしょう。

■何故前置詞が「空」なのか?

何故、前置詞が「空」に似ているのでしょうか。空とは、何もないように見えて、すごいエネルギーをもっている空間ということでしたね。前置詞もそのような側面があるのです。次の文をご覧ください。

John gave Mary a book.

(ジョンはメアリーに本をあげた)

何の変哲もない文ですが、この文、前置詞がありませんね。この文を名詞化(=名詞のようにすること)してみましょう。

the gift of a book to Mary by John

(ジョンがメアリーに本をあげること)

名詞化した途端、前置詞が現れましたね。文が進化した状態(=第4文型)では、前置詞が消える方向にあるのですが、原始的な状態(名詞化した状態)では、前置詞が表面化します。

日本語で、英語の前置詞に当たるのは、助詞です。日本語では、文の例にも、名詞化の例にも、助詞が表れていますね。□の箇所を確認してください。

前置詞が文中で消えることがあるから「空」的で、しかし、名詞句を作る場合は、堂々とその存在価値を示すので、エネルギーに満ちていると思います。

 

皆さんも、英語の勉強が進んで、英語が自由に操れるようになったころには、前置詞のエネルギーを、身をもって体験しますよ。

 

英語世界を仏教的に表現する(その2) 第2話

私は、以前、「副飾研究家」というタイトルを名刺に書いたことがあります。あるとき、「副飾」というのは、「服飾」の間違いですね、と言われたことがありましたが、「いえ、正しいです。『副詞の修飾』を研究しており、縮めて『副飾』と言っているのです。」と説明せざるを得なかったことを思い出します。

そういえば、ある学際的な学会で、専攻を聞かれたとき、「フクシのシュウショクに関する研究です」と答えたら、「福祉の就職」のように捉えられ、途中まで会話が不思議にかみ合ったことがありました。

ある冠詞を専門としておられる先生が、ある学会で「カンシが専門です」と言ったら「漢詩ですか」と勘違いされたけれど、こちらも、途中まで話がかみ合ったということをおっしゃっていました。

さて、今日は、そんな副詞は「火」に似ているのかということについて、お話します。そして、冠詞が「風」に似ているのかということについてもお話しましょう。

■何故副詞が「火」なのか?

副詞は、正確には、名詞以外の品詞を修飾します。典型的には形容詞や動詞を修飾しますが、副詞が副詞を修飾する場合もあるのです。

1.A newt is totally different from a gecko.

(井守[イモリ]は守宮[ヤモリ]とは全く異なる)

2.A whitebait entirely differs from a white goby.

(白魚[シラウオ]は素魚[シロウオ]とは全く異なる)

3.Extraordinarily interestingly, this is true.

(異常なほど面白いことに、このことは当たっている)

下線を施した部分は副詞ですが、1においては形容詞differentを、2においては動詞differを、3においては副詞interestinglyを、それぞれ修飾しています。

これらの文を見ていると、副詞は、形容詞や動詞、さらには、副詞をも強調しているのが分かりますね。

その強調するという特性は、「火」の力強さに共通するものがあります。だから、副詞は火に似ていると、私は思っています。

 

■冠詞が「風」である理由

冠詞を「冠」の「詞」(=言葉)という理由は、名詞(1つ)や名詞句(=形容詞+名詞の塊)の頭につけるものだからです。

勿論、aやanは可算名詞でないと、また、可算名詞でも単数でないとつきませんが、theはどの名詞(句)にもつきます。

○a book  ○an apple   ×a books    ×a water

○the book  ○the apple  ○the books  ○the water

冠詞は、その名詞(句)が、初めて相手に知らせるものなのか(→その場合a(n)をつける)、既に話題になっているものなのか(→その場合theをつける)を明確にする役割を担っています。

また、1つのものと言えるものなのか(→その場合はa(n)をつける)、あるいは1つということが言えないものなのか(→その場合はa(n)をつけない)をはっきりさせることもできます。

不定(=相手が知らない、または、はっきり決まったものを指していない)のものであれば、単数の場合、可算名詞ならa(n)がつき、不可算名詞なら何もつきません。複数の場合、可算名詞なら名詞の後ろにsをつけます。不可算名詞で複数はありえません。

 

不定のもの 可算名詞  単数 a book, an apple …

複数  books, apples …

不可算名詞 単数 water, coffee …

複数 この形はなし

 

言語学的には、冠詞がついていない状態でも、見えない冠詞がついていると考えます。それは「ゼロ冠詞」と呼ばれます。そして、冠詞は名詞(句)を、まさに監視し、名詞(句)をより明確にし、ある種の風格を与えています。どんな名詞(句)、つまりどんな風な名詞(句)のかを明確にするので、冠詞は「風」なのです!

英語世界を仏教的に表現する(その2) 第1話

次の英文を見てみましょう。

I will look at the very beautiful flower.

(私はその非常に美しい花を見るよ)

この文は、1文としては安定している英語の典型的文と言えます。この典型的文には、1文を構成するのに、重要な品詞が詰まっています。1語ずつ、全てが異なる品詞です。品詞名のみを順に並べると・・・。

代名詞+助動詞+動詞+前置詞+冠詞+副詞+形容詞+名詞

これは、英文における基本8品詞と言ってよいでしょう。その性質や特徴から、品詞を更にまとめてみると、名詞と代名詞は1つのグループ、動詞と助動詞は1つのグループに属すると考えてよいでしょう。冠詞と形容詞をまとめて1つの形容詞と考える方法もありますが、冠詞は、それだけで十分な存在意義がありますので、これはこれで独立させておきたいと思います。

すると、8品詞は、6グループに分かれることになります。これを私は、言語の世界における六元素(「六言素」とジョーク的に言うことが可能です)と呼んでいます。この六元素が、弘法大師空海の「六大」(宇宙を構成する六元素)と似ていると思います。

今日は、「私による言語の六元素と空海による宇宙の六大の類似性」の第1話として、概略のお話を挙げます。それと同時に、何故、名詞・代名詞が「地」に相当するのかも、論じておきましょう。三修社から出した『英語の品格』を一部抜粋、加筆修正して、このことを主張します。

■言語の六元素は密教的?

日本に本格的な密教をもたらした空海は、この宇宙は、6つの元素から成り立っていると考えました。これを六大(=宇宙の6つの要素)といいます。それは次のようなものです。

 

空海の六大

六大 英語 ひとこと
Mind 無形 精神界を満たしている元素
Void 宝珠形 何もない空間 エネルギー
Wind 半円形 動くもの   気体
Fire 三角形 熱いもの   化学反応
Water 円形 柔軟なもの  液体
Earth 四角形 硬いもの   固体

注:地水火風空の5つは物質界の元素

※仏教では「真空妙有」という発想があり、本物の空は、全くの空ではなくエネルギーの満ちた世界

私は、この6つの要素と、英語の基本六元素(名詞・代名詞、形容詞、副詞、冠詞、前置詞、動詞・助動詞)が似ていると考えています。六大と「言語の六元素」(=六言素)は次のように対応すると思われるのです。

    六大と六言素の対応

識 第1言素 動詞・助動詞

空 第2言素 前置詞

風 第3言素 冠詞

火 第4言素 副詞

水 第5言素 形容詞

地 第6言素 名詞・代名詞

※地水火風空のまとまり

は前置詞句に相当する。

 

■名詞・代名詞が何故「地」、形容詞が何故「水」なのか?

「地」とは、宇宙を構成する硬い元素です。これは現代風に言えば、固体ということになるでしょう。一方、「水」とは、流動的な元素ということになります。現代的には液体といえます。

「地」は、英語宇宙においては、名詞や代名詞に似ています。というのは、名詞は「ものにつけられた名前」で、流動的ではなく、しっかり定まったものだからです。また、代名詞は、その固まった名詞を代表するものだからです。なお、私やあなたといった人称代名詞も、きちんと実体のある存在ですね。だから、名詞や代名詞は、地に似ています。

「りんご」と読んでいたものが、ある日突然、「みかん」になることはありえません。それだけ、名詞というのは確固たるものでなければなりません。それを指し示す代名詞(itやthey)も当然、確固たるものです。

一方、形容詞はどうでしょうか。「美しい」という形容詞は、抽象的概念です。「美しい」という言葉が指し示すのが、人により異なる可能性があります。

平安時代には、下膨れの人が「美しい」女性とされていたようで、現代の美人とは異なります。現代でも、国により、太った女性が「美しい」人という国もありますね。

つまり、形容詞は流動的で、「水」に相当するわけです。

また、形容詞は、どんな名詞にも、等しく係っていくことができますが、これがまた、水の特性と似ています。水は、どんな地にもなじんでいきます。この点からも、形容詞の特性が、水に似ています。

 

英語世界を仏教的に表現する(その1)

英語を研究しつつ、日本文化を探求していると、英語関連のことも、仏教に関連して、半分ジョーク、半分まじめな発想で、楽しみながら、英語修行に励むことがあります。

例えば、私は、最終的には英語如来(英語の悟りを得た者)を目指す私は、「英悟教通訳ガイド宗いつも前向き派総本山・智恵沢山(ちえたくさん)石隆寺管長」ということになっています。英語戒名は「エングライト」(englight)で、これはEnglish Enlightenment(英語の悟り=英悟)を略した形です。私の門下生は、石隆寺塔頭(たっちゅう=subtemple)の○○院という名前がつきます。

「いつも前向き」という言葉が大好きですが、これは、以前、このブログでも話題にした5母音が、はじめに現れます。<IUOAE>の順になっています。「エングライト」だって<EUAIO>と5母音が現れます!

ここで、勉強法の話をしましょう。

日本の密教の体系を築いた弘法大師空海は、「虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」(こくうぞうぼさつのうまんしょがんさいしょうしんだらにぐもんじほう)という長い名前の修行を行い、記憶力を飛躍的に伸ばすことが出来たといいます。私も、「英語脳活性化日英交流四技能最大活用六感有効利用九段階勉強法」というのを編み出しました。これは、英語脳を活性化するために、日本語と英語を組み合わせ、4技能を最大限に活用し、六感(なかでも視覚・聴覚・触覚[Writing時]・思考やひらめき[第6感])を有効利用し、9段階に分けて、英語表現や英文エッセイを学習・修得する方法です。

 

 

■英語脳活性化日英交流四技能最大活用六感有効利用九段階勉強法■

 

(1)日本文を見て、それに相当する英文を黙読する。

<視覚>利用、<Reading>活用

(2)英語でどういうかわからない日本語をチェックし、その英語を英文中に見つける。

<思考[第6感]・視覚>利用

(3)英文を黙読し、その意味を考え、日本文でチェックする。

<Reading>活用、<思考>利用

(4)英文を音読し、わかりにくい個所を日本文で確認し、再度音読する。

<(音読)Reading+Speaking+Hearing>活用、<視覚>利用

(5)日本文の中から重要と思う個所を選び、それに対応する英語を書き取る。

<視覚・思考>利用、<Writing>活用、<触覚>利用

(6)日本文を黙読し、それの英作に挑戦し、それに対応する英文で確認する。

<Reading>活用、<思考>利用、<Writing>活用、<視覚>利用

(7)CD収録されている英文を聞き流し、何度も聞いて、意味を理解しようとする。

<Hearing>活用、<思考>利用

(8)CD収録されている英文をじっくり聞き、次に英文を見ながら同時に音読する。

<Listening>活用、<視覚>利用、<Reading+Speaking+Hearing>活用

(9)CD収録されている英文を見ないで慎重に聞きつつ、シャドーイングを行う。

<Listening・Speaking>活用、<聴覚>利用

 

※シャドーイングとは「聞いた英語をそのまま繰り返して発音すること」で、平均的に0.5秒後ぐらいをめどに発音するとよい。(7)(8)(9)の順に練習することをお勧めする。