amとmaの話

すごく久しぶりにブログを更新します。

Aは最も単純な母音です。なぜなら口を開けて自然に出せる最も基本的な音だからです。一方、Mは最も単純な子音です。というのは、口を閉じたまま、そのまま音を出すと出る最も基本的な音だからです。

この2つの音の組み合わせは、西洋と日本を象徴する概念を生み出すように思います。例えば am は I am…から分かるように「現在における私の存在」を暗示します。これは西洋文化の重要なコンセプトを如実に表しています。西洋世界では、「私」が重要で、「私を主張すること」、すなわち「個」が重視されるからです。個人主義(individualism)が重視されていることからも分かりますね。

一方、ma は日本文化における重要なコンセプト、すなわち「間」です。こちらは、「個」を重視するのではなく、個と個の関係、すなわち「人間関係」を重視します。いわば「個」と「個」の「あいだ」を重視するわけです。個を目立たせないという面から、日本文化における重要なコンセプトは「集団主義」(groupism)であるとも言われます。

以上のように、人生においては、個を重視する立場(=am発想)と関係を重視する立場(=ma発想)の2つが大切なのではないかと、私は感じています。この対立するような立場が、基本音のaとmから成っている事自体が奥深いと思いませんか。

さらに、否定を表す音は、n です。これは、ほぼ全ての言語の否定に n が関わることから分かります。英語の”not”、日本語の「ない」(nai)、ドイツ語の”Nein”、ロシア語の”Nyet”など、n音が入っています。

つまり n をつけると否定になると考えてよいとし、次のような組み合わせを考察してみましょう。

  (1) N+AM
  (2) MA+N

西洋文化の基本コンセプトを否定してできる NAMは「南無」に通じ、仏教を暗示します。「個」が「我」(=自分中心の発想)になるのを戒めるのが仏教の教えです。amの主張しすぎをNで否定するわけです。

一方、日本文化の基本コンセプトを否定してできる MANは「人間」の意味で、英語世界の人類に通じます。あまりに人間関係にとらわれてがんじがらめになっている人間を解放するのにNの否定が役立つのです。

am(自己主張)の行き過ぎをNAMで調整し、ma(没我)の行き過ぎをMANで調整しているわけです。amとmaを以上のように捉えてみると、面白いのではないか、そして、世界はamとmaを理想とし、その行き過ぎを調整するために、NAMの仏教とMANの西洋思想が存在しているように見えてなりません。

みなさんはどう感じられますか?

コメントを残す