主語の数量詞も変化する

次の文を考えてみましょう。

 

(1) 3人の男性が2人の女性に出会った。

 

これは、「3人の男性が、ある時ある場所で、1人の女性に出会い、同じ3人の男性が、別の時別の場所で、もう1人の女性に出会った」という意味と、「ある男性1人が、2人組の女性に出会い、別の男性1人が2人組の女性に出会い、最後の男性1人が2人組の女性に出会った」という意味の2つに曖昧です。これは、以前のブログでも述べました。

 

ここで、注意すべきは、主語の「3人の男性」の実人数は3人で変わらないのに対し、それぞれの男性1人が出会う女性の組は異なっていてもかまわないため、最高6人になるという事実です。つまり、実人数については、次のように規定できる可能性があるのです。

 

   (2) m個のSがn個のOをVする」文のSとOの実人数の可能性

a.    S=m

b.   Omn

 

ところが、主語の人数も、実は、「言語表記上、文字どおりの数字となる」とは限りません。例えば、次の文を見てみましょう。

 

   (3) 3人の男性が2軒の店で飲んでいる。

 

(3)文の通常の解釈は、2軒の店それぞれに3人の男性客がいるということです。つまり、主語が必ずしも、表示数(この場合は3)に限定されるわけではないのです。

 

実は、実人数が表示人数よりも多いことを暗示する「表示数超過暗示性」は、次の順に弱くなると思われます。

 

    (4) 2軒の店では、3人の男性が飲んでいる。

(5) 2軒の店で3人の男性が飲んでいる。

(6) 3人の男性が2軒の店で飲んでいる。

(7) 3人の男性は2軒の店で飲んでいる。

(8) 3人の男性は2軒の店で飲んだ。

 

表示数超過暗示性に影響を与える要素は、時制と情報構造であると思われます。この2つが、この暗示性の段階性を生み出しているので、これにより(4)から(8)への現象を説明できるわけです。この2つをもう一歩進んで説明します。

 

まず、進行時制は同時性を意味しますので、3人の男性が2箇所に同時に存在する必要が有り、実際には、それが不可能なので、それぞれ3人が存在することになります。その結果、表示数を超過するのです。

 

次に、情報構造(情報が古いか[=話題となっているか?]、新しいか[=焦点となっているか?])がポイントとなります。「は」を用いた場合、3人の男性が確定されるので、その結果、表示数は超過しません。

 

また、(6)や(7)は、「ある特定の3人(前者は話し手のみ、後者は話し手と聞き手が共に知っている)が、2軒の店で飲んでいる」という習慣行為も表すので、曖昧性が浮き彫りになります。

 

結論として、次のようになります。

 

(9) m個のSがn個の場所でVしている」におけるmの実存在数=mn

 

以上のように、言葉には不思議な側面があるのです。今後は、言葉の曖昧性について、上記のような条件を考慮し、数量詞がQ個(≧2個)生じた場合の「数学的な一般公式」を提案することを目指したいと思います。

コメントを残す